大判例

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東京高等裁判所 平成6年(行コ)222号 判決

控訴人

大野昭子

右訴訟代理人弁護士

阿部浩基

黒柳安生

萩原繁之

増本雅敏

被控訴人

地方公務員災害補償基金静岡県支部長

右訴訟代理人弁護士

向坂達也

早川忠孝

河野純子

安田佳子

橋爪進

早川忠孝訴訟復代理人弁護士

越智敏裕

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が昭和六〇年一〇月二日付で控訴人に対してなした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

控訴棄却

第二  事案の概要

本件は、静岡県立吉田高等学校の英語教員であった控訴人の亡夫大野芳温(以下「大野」という。)が、昭和五九年五月一七日、英語授業中に倒れ、同月二三日に死亡したことが、公務に起因するものとして、控訴人が、被控訴人に対し、地方公務員災害補償法に基づく公務上災害の認定を求めたところ、被控訴人は、大野の死亡が公務に起因するものでないとして、公務外の災害であるとの認定処分をしたため、控訴人が右処分の取消しを求めた事件である。

原審は、大野の死亡が公務に起因するものではないとして、控訴人の請求を棄却したため、控訴人が不服申立てをした。

前提事実及び当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」と「二 争点」記載のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の訂正)

四頁一一行目〈編注・本誌本号一〇一頁四段三〇行目〉「同校着任四年目」を「同校着任後五年目」と訂正する。

(控訴人の当審における主張)

一  原判決の問題点

1 原判決は、「公務上」の解釈につき、相当因果関係説をとり、血管病変等の基礎疾患がある場合は、当該脳血管疾患の発症について、公務に内在する危険が、それ以外の発症の原因と比較して、相対的に有力な原因となったことが必要であるとし、相対的に有力な原因というためには、当該公務の内容が通常の公務と比較して過重であること、また、当該公務が過重であるというためには、当該被災者において発症の原因となったというだけではなく、他の事案においても発症の原因となるであろう程度の客観性を有することが必要であり、公務の過重性は、通常の勤務に従事して差し支えない程度の基礎疾患等を有するものの、現に支障なく通常の勤務についている職員を基準として、社会通念によって判断すべきものとした。

しかし、このような考え方は狭きに過ぎるもので、公務上の災害発生直前の職務内容が、日常の職務に比べて質的又は量的に過激でなかったような場合であっても、当該公務の遂行が基礎疾患と共働原因となったような場合であれば、公務起因性を肯定すべきものであるし、当該公務が過重であるか否かは、当該被災者を基準に判断すべきものである。原判決のいう「基準職員」の概念は、その具体的内容が明らかでなく、極めて不明確であるうえ、具体的判断に際しても、この概念はほとんど使われていないのである。

2 原判決は、大野が発症前日まで従事していた公務について、その個々の内容ごとには相当程度の負担があったことを認定しながら、具体的回数や所要時間が明らかでないとか、事務に精通していたなどの理由で、全体として過重な負担であったことは否定した。しかし、個別の公務内容それぞれが相当程度の負荷をもたらすものであれば、それらを集中して同時並行的に負担した場合の全体的評価は、過重な負担として評価されるべきものであるし、ベテランになるほど強いプレッシャーと責任にさらされ、緊張の度合が増すもので、事務に精通していたから精神的負担が過大でなかったということはできない。原判決は、大野の仕事を事項別に抽象的に取り上げ、これも抽象的存在である他の教員と比較しているが、大野には大野特有の仕事があり、そのやり方にも個性があるのであり、単純に他の教員との比較はできない。大野の従事していた公務の具体的内容については、以下二において詳細に主張する。

3 以上のとおり、原判決は、大野の公務遂行については疲労が蓄積するほどのものではないと評価したうえ、他方では、大野の基礎疾患の特異性とその程度を強調することによって、公務と死亡との因果関係を否定した。しかし、この基礎疾患についての認定も誤解に基づくものである。

すなわち、大野の死因が、発症当日の脳動静脈奇形の破綻による出血(以下「本件発症」という。)であったことは争いがないところ、原判決は、脳動静脈奇形の破綻の発症率及び発症した場合の死亡率ともに比較的高率であるとしたうえ、大野の脳動静脈奇形の具体的程度についても、その病状からすれば、いつ破綻してもおかしくない状態が続いていたこと、公務遂行に伴うストレス等による血圧の変動ないし昂進が存するとしても、脳動静脈奇形それ自体の増悪を自然的経過を超えて急激に悪化させたものとまでいうことはできないものと認定した。

原判決は、脳動静脈奇形の破綻発症率は、出血発症例が六八パーセント、痙攣発作発症例が二八パーセントにのぼり、脳動静脈奇形を基礎疾患に持つ者のほとんどが発症するかのような認定をしているが、この数字は、脳出血や痙攣による発症を確認されたものの中から、その原因が脳動静脈奇形であるとされたものを母数にしているのであって、脳動静脈奇形を有する者全員を母数にしているものではないのに、原判決は、発症した患者の症状別割合を、発症率と誤解しているのである。脳動静脈奇形の発症率の算定には、脳動静脈奇形を有しながら、症状を発症していない者をも含めた数が母数となるべきであるが、脳出血に限らない一般の死体解剖の際発見された脳動静脈奇形を有する者の割合は、0.5パーセント、人口一〇万人当たり五〇〇人との報告があり、脳動静脈奇形の出血頻度は年に二、三パーセント(甲二九号証)、死亡例は発症例の一〇パーセント(ただし、初回出血。甲五九号証)、再発率は六パーセントくらいと考えられる。脳動静脈奇形の発症率、死亡率、再発率は、脳動脈瘤の数値を大幅に下回っているのである。脳動静脈奇形が自然的経過の中で高い確率で発症し、死に至ると考えるのは誤りである。また、脳動静脈奇形の出血ピークは二〇才台から三〇才台までで、大野の被災時の年齢は四五才であったから、出血年齢ピークを過ぎており、これによっても、大野が基礎疾患を持ちながらも直ちに発症するような状態ではなかったこと、公務の精神的、身体的負担が出血を発症させたことが裏付けられる。

被控訴人は、中島意見書や山梨聴取書を根拠に、発症当日の出血を再出血とし、初回出血があった以上、いつ発症してもおかしくない状態であったと主張しているが、聴取書は生徒が大野から聞いた話を書面化した伝聞証拠で、これによって初回出血があったと断定することはできないし、中島意見書も右聴取書を根拠にしている。また、再出血としても、初回出血は本件発症と時期的に近い時期に起きているから、初回出血もまた公務の過重性によることを否定できない。

二  大野の具体的公務の内容

1 大野の従事していた仕事を事項別に整理すると、次のとおりとなる。

(一) 授業について

大野の授業時間数は、昭和五八年度、昭和五九年度、ともに週一七時限(一時限五〇分)で、あき時間は週一五時間であるが、大野は授業の教材に様々な工夫を凝らし、教材の作成に力を入れていた。五八年度用としては、三年生補習教材、イングリッシュ・キャンプ用教材、LL教材、夏休み課題用プリント、英作文の授業用教材を、五九年度用としては、「宝島」、「発音」、「補講用教材」などを作成した。その作成のため授業時間の1.5倍の時間をかけていたとすると、あき時間を利用するだけでは教材の準備はできず、放課後毎日87.5分の時間をかけなければならなかった。すると、終業までの時間は授業の準備だけでいっぱいになることになる。この他に、大野は昭和五九年度は週二時間、AETとのチームティーチングの授業を持ち、打ち合わせをしたり、補助教材を作ることもしていたのである。

(二) クラス運営について

大野は、昭和五八年度は三年生の進学希望者と就職希望者の双方がいる三五HRの担任で、進学指導と就職指導を同時に行なわなければならなかった。担任は進路指導のため一学期の終わりごろから忙しくなり、夏休みはほぼ毎日出勤することになる。そのうえ、三五HRは問題行動を起こす生徒(処分者七名、問題行動三名)が続出し、大野はその対応に追われ、同年度中に一〇名の生徒につき、合計三、四〇回の家庭訪問を行っている。家庭訪問には自転車を使用し、午後九時、一〇時の帰宅も頻繁であった。

大野は、昭和五九年度は一年生の一七HRの担任となったが、同クラスには神経症や問題行動の生徒が二名いた。大野は神経症の生徒の話を聞いたり、母親と面接するなどし、養護教員とも頻繁に連絡を取っていた。生活の乱れのあった問題行動の生徒については、週に二回生徒宅を家庭訪問するなどして、両親と生活指導について相談している。同年五月六日から同月一〇日の間には同生徒宅に三、四回の家庭訪問をし、帰宅時間は午後九時、一〇時であった。ところがこの生徒は、大野の反対にもかかわらず、同月一三日、宗教団体の施設に入所することになり、大野はショックを受けた。

(三) 学校行事について

昭和五八年度の一月以降の学校行事は、昭和五九年の一月から三月にかけては三日に一回、あるいは二日に一回くらいの割合で催され、その準備のための事務的な仕事もあった。

昭和五九年度の学校行事は同年四月六日の入学式、始業式から始まり、発症日の五月一七日まで毎日のように行事があった。

(四) 英語科行事について

大野は同校英語科教員であったが、英語科には前記の行事の他に、例年行われていた英語科関連行事として、静岡県高等学校英語研究会、英語検定試験、中学校訪問、吉田高校校内研修会などがあった。英語研究会については、昭和五八年度、五九年度ともに、大野は標準テスト作成委員として問題作成の検討会に参加し、採点にも従事している。英語検定試験については、英語科の生徒には卒業までに二級を取得する目標が掲げられており、大野も受験に向けた指導に当たっていた。

中学校訪問は、昭和五八年七月から八月にかけ、英語科の説明のため、英語科の教員が分担して、三校くらいの中学校を訪問するものであるが、大野も御前崎、相良方面の学校を訪問していた。

以上の他に、大野は昭和五九年度は、イングリッシュキャンプの準備と英語科パンフレットの作成の中心となっていた。イングリッシュキャンプの準備は四月終わりころから始まり、大野はそのための教材の準備に力を入れていた。また、大野は、昭和五九年度新学期からの新しい事業として、「英語科の概要」というパンフレットの作成を命じられ、四月から取りかかかったが、このパンフレットは、同年六月一八日の地域中学校との懇談会における配布を目指していたため、作業はかなり忙しかった。大野は、パンフレットの作成を自宅に持ち帰って行い、前記問題行動の生徒への対応が不本意なままに終わった五月一三日以降は、連日この仕事に集中し、就寝が一二時を回ることもあった。パンフレットの作成については同僚と意見の合わない点もあり、大野は控訴人にもこの不満を漏らし、発症直前まで思い悩んでいた様子があった。

(五) 総務課の職務について

大野は、校務分掌としては総務課を担当し、かつ英語科に所属していたため、交換留学生の受け入れの交渉、指導などを担当し、国際交流や留学に関する事務的な仕事にも深く関与していた。具体的には、昭和五八年度、五九年度のガーディナ校からの留学生の受け入れ準備とガーディナ校への留学生の送り出しの中心となって諸手続を担当し、昭和五八年六月には一ヶ月間、ガーディナ校の先生を自宅に受け入れ、土曜日、日曜日にはその先生の案内役などを務めていた。その他、大野は、春休みころから留学生交換についての「一二年のあゆみ」作成の下準備もしていた。

(六) クラブ活動について

大野は、昭和五八年度、五九年度ともに棋道クラブとインターアクトクラブの顧問であり、月一五回程、部活動に参加していた。

2 以上の具体的公務の内容に基づき、大野がどの程度の時間外勤務をしていたかを算定すると、少なく見積もっても、大野は、昭和五九年三月一日から同月一九日までは39.5時間(一日平均二時間)、同月二〇日から同年四月五日まで(いわゆる春休みの期間)は三五時間(一日平均二時間)、同月六日から同年五月一六日までは一五二時間(一日平均3.7時間)の時間外勤務を行っていたことになる。

3 大野の公務の特徴と評価

大野の仕事の特徴としては、締切りがある仕事を複数受け持ち、これらを同時並行的に処理しなければならず、常に仕事に追われて過密な状態にあった。このため所定労働時間内に仕事を終えることができず、残業が日常的に行われ、休日をきちんと取得することができないうえ、生徒を対象にする仕事の特殊性から、内容が非定型的で、困難な対応を求められていた。また、大野の年齢、勤続年数、在校年数からして、授業や行事の中心的役割を担わなければならない立場にあったところ、同僚の協力が得られるとしてもこれは限られていて、一人で対応しなければならない状態であった。

すなわち、昭和五九年三月一日から同月一九日までの大野の仕事のうち、他の同僚と共通する仕事としては、入学試験準備、採点や学期末テスト採点などがあるが、大野が三五HRの担任で、問題行動の生徒が多かったため、卒業式関連の生徒指導、指導要録の作成には大野に特別の負担がかかった。

同月二〇日から同年四月四日までの仕事のうち、新入生オリエンテーション、教材の作成等は、他の同僚と共通しているが、大野が新一年生の英語科クラスの担当となることが予定され、新入生テストの作成に関与していたため、新入生テストの実施と採点についても特別の負担がかかった。また、大野は、他の同僚に比べ、教材の作成についても長時間をかけ、多数作成していた。右同時期に、大野は米国人の案内やガーディナ校生受け入れのための事務連絡も始めている。

同月五日から同年五月一七日までの間の同僚と共通する仕事は、入学式、新入生集団宿泊訓練、クロスカントリーなどがあるが、新入生集団宿泊訓練の準備、実施は、一年生クラス担任だけの仕事であり、大野のクラスには問題のある生徒二名がいたため、大野はその対応をしながら、訓練の準備をしなければならなかったもので、このような状況にあった教員は大野だけである。

その他、英語パンフレットの作成やイングリッシュキャンプの準備などは、他の同僚と共同して行っても、大野はその中心的役割を負っていた。

これら大野の特別の負担を全体としてとらえたとき、大野の公務は過重であったということができ、この公務の過重性が大野の脳動静脈奇形の血管壁の内圧を一定期間に渡って繰り返し高め、本件発症に至らせたことは明らかであるから、公務が、発症についての相対的に有力な原因となったことが必要との解釈をとっても、大野の死亡は公務災害というべきである。

(被控訴人の当審における主張)

一  公務起因性の判断基準について

公務上の災害であるというためには、公務が発症について相対的に有力な比重を占めていたこと、すなわち、公務と発症との間に相当因果関係があることが必要である。公務が発症の条件の一つに過ぎず、被災者の基礎疾患が発症の共働原因となったような場合は相当因果関係は否定される。また、相当因果関係があるというためには、公務が特に過重であったことを要するところ、公務の過重性の判断は、地方公務員災害補償制度の趣旨(公務に内在する危険性が現実化して被用者が疾病に罹った場合、使用者に過失がなくても使用者は損失補償すべきものとされ、補償資金は租税を原資とする地方公共団体の負担金から出損される。)に照らしても、客観的に判断されるべきであり、個々の被災職員を基準に判断すべきでないことはいうまでもない。

二  大野の発症の原因について

原判決の認定した、脳動静脈奇形の六八パーセントに出血が、二八パーセントに痙攣発作が認められるとの部分は、控訴人主張のとおり、脳動静脈奇形を有する者が発症した場合の症状別割合を算出したものであるが、脳動静脈奇形の破綻の「年間発生率」が控訴人主張どおりとしても、四五才まで生存するとすれば、脳動静脈奇形の破綻発生率はかなりの割合となり、脳動静脈奇形を有する者のほとんどが発症しないで天寿を全うするなどとはいえない。無症状での脳動静脈奇形が相当高率の割合で存在し、その発症率、死亡率が低いと認定できるような証拠はない。

また、大野は、以下のとおりの事情からみて、脳動静脈奇形からの再出血によって死亡したもので、その経過からみても、自然的経過によって増悪した脳動静脈奇形の破綻によるものとみるべきである。

すなわち、大野は、本件発症を起こす前に、明らかに初回出血発作を発症していた。それは大野が発症当日の授業中に「前にも風呂から出たとき、後ろから殴られたように頭がガーンとなって死ぬかと思った」と発言していること(甲二号証の三の三二頁、三三頁)から判断することができる。控訴人作成の意見書中の「四月末の墓参りの際、普段歩くことの好きな大野が早々に切り上げた」との記述もこれをうかがわせるものである。

大野は、これらの症状を経て、昭和五九年五月一七日の再出血に至ったのである。一度出血を発症した者の再出血の可能性は、一年で六パーセント、五年で一三パーセント、一〇年で一五パーセント、二〇年で四七パーセントとされ、かなり高率であるということができる。発症当日、大野は朝八時半のショートホームルーム時に頭痛を訴え、午後零時頃にも同僚に同様の訴えをし、午後一時半からの授業時に前記発言をした後、午後二時二五分からの授業中に話すこともできないような状態になったことからみると、大野には、発症当日の朝方、軽度な脳動静脈奇形からの出血があり、これが次第に脳室内に拡がり、中脳水道ないし第四脳室に血液が充満し、頭蓋内圧が亢進し、大出血に至ったものと考えられる。大野としては、発症当日の昼休みの時点で、早期に受診すべきであった。大野が受診の機会を逸して死亡したのは、授業があったため受診を受けられなかったというのではなく、自主的治療の契機はあったけれども、大野本人も周囲の者も、病状の重大さに気づいていなかったためである。発症当日は三人の同僚教師が空き時間で待機しており、代講してもらうことは十分可能であったのであるから、頭痛があるにもかかわらず、公務に従事しなけらばならなかったという事情は認められない。

控訴人は、大野の日常業務が過重で、そのため血圧が上昇し、血管壁が老弱軟弱化し、出血に至ったとするが、大野は、新入生集団宿泊訓練、クロスカントリー、自転車通勤など、血圧を上げる要因となる行動時には発症せず、初回出血時のような入浴時に発症しているのであり、血圧の上昇と発症とが一致していない。大野の脳動静脈奇形の破綻は、いつ発症してもおかしくない状態にあったのである。

三  公務過重性について

大野の個々の公務は同僚職員と比べても特に過重ではなく、全体として捉えても過重性はないものである。

大野の昭和五九年度の一週間当たりの授業時関数は一七時限であり、これは他の職員と同じである。また、年度末と新学期のため、三月と四月は授業の負担が重くないのである。教材は過去に作成したものの使用が考えられるし、今までに蓄積されたものの応用が可能で、一日八時間として、毎週三日間弱を授業の準備に使うことはない。一年生では独自に教材を作成しないから、「宝島」が昭和五九年度の補助教材として作成されたとは考えにくいし、LL教材が昭和五九年春に新規に作成された証拠もない。英語科の生徒に対する特別授業や小テスト作成及び採点は、あったとしてもその負担は微々たるものである。指導要録は、家庭学習期間となる昭和五九年二月六日以降、二月中旬ころまでに作成されたとみられるし、生徒一人一五分もあれば作成できるものである。期末テストで大野が問題作成を担当したと思われるのは一科目に過ぎず、採点は記号選択形式であるから容易である。大野の同僚である鈴村教員は、英語科の授業数が大野より多く、校務分担も多くなっているし、学校行事で大野に特に負担になったものはない。「一二年のあゆみ」という冊子の作成計画が具体化したのは、大野死亡後のことで、大野が編集に関して行ったことがあるとすれば、簡単な写真の整理ぐらいである。英語科パンフレットは、B四判、三頁程度の簡易なものである。新入生集団宿泊訓練は、毎年定例的に行われるものであるから、その資料は既成のものが利用でき、準備の負担はかなり軽減されている。また、その運営は、他の同僚と分担して従事するものであるから、その準備のため多くの残業が必要とは考えられない。PTA総会の準備や留学生の受け入れ準備も、大野一人に負担がかかっていたわけではない。家庭訪問の回数、所要時間も、これを裏付けるものは控訴人の供述以外にない。イングリッシュキャンプの準備も内容が不明確でこれを裏付ける証拠がない。

そもそも教職には残業あるいは時間外という概念がないうえ、根拠のない不合理な推測や、仕事の量や質に対する過大な評価を基礎にしている。大野は週二回、自宅で大野の子とその同級生に英語を教えていたが、これも大野の公務に余裕があったことを示している。

第三  当裁判所の判断

一  公務起因性の要件及び判断基準

原判決の「第三 争点に対する判断」の「一 公務起因性の要件及び判断基準」(五二頁二行目〈編注・本誌本号一〇八頁一段二三行〉から五七頁二行目〈同一〇八頁四段二三行目〉まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、五五頁八行目〈同一〇八頁三段二九行目〉「そして、右における公務過重性は」から五六頁二行目〈同一〇八頁四段一行目〉「社会通念によって判断すべきである。」までを「そして、右における公務過重性は、通常の勤務に従事して差し支えない程度の基礎疾患を有するものの、現に特に支障なく通常の勤務についている職員にとって、公務の内容が過重負荷であると認めるに足りるか否かを基準として、判断すべきである。」と訂正する。

二  脳動静脈奇形の病態

原判決の「第三 争点に対する判断」の「二 本件発症の機序」の「1 脳動静脈奇形の病態及び発生の機序」(五七頁四行目〈同一〇八頁四段二五行目〉から六四頁七行目〈同一〇九頁四段三〇行目〉まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、五九頁四行目〈同一〇九頁一段三〇行目〉「証人小松清秀の証言」の次に、「並びに甲五一ないし五四、七八、八九、乙五の一、二、乙六、七」を加え、六〇頁五行目〈同一〇九頁二段一七行目〉から六一頁七行目〈同一〇九頁三段六行目〉までを次のとおり改める。

「(三) 脳動静脈奇形の発症率については、アメリカ合衆国ミネソタ州にあり、世界的な権威のある第一級の医療施設であるメイヨークリニックの医学者による一六八例の未破裂の脳動静脈奇形の自然経過の分析結果の報告が著名である。これによると、一六八名の脳動静脈奇形の患者のカルテを追跡調査したところ、平均追跡期間8.2年であるが、その期間中に一六八名の患者中三一名(18.5パーセント)に頭蓋内出血があったこと、それは年に2.25パーセントの出血のリスクであること、右三一名の出血例のうち九名が頭蓋内出血で死亡したこと、奇形の大きさや高血圧の有無は、出血の危険性とは関係ないことが報告されている(甲三四号証、五四号証、七八号証、乙六号証)。また、奇形部が破綻出血した場合の初回出血による死亡率は一〇パーセント、再出血の危険性は二〇パーセント、再出血による死亡率は一二ないし一三パーセントとの報告がある(甲三四号証、五一号証)。さらに、脳動静脈奇形を放置した場合、六〇パーセントは何の症状もなく有益な社会生活を送れるが、二〇パーセントは出血などで死亡し、他の二〇パーセントは神経脱落症状を伴うとする文献もある(甲五一号証)。これらによれば、脳動静脈奇形は、頭蓋内出血をもたらす危険性のある基礎疾患であるが、この疾患を有する者が必ず出血、死亡に至るというものではなく、発症しないで生涯を終える者も半数以上存在するものということができる。」

三  大野の脳動静脈奇形の発症の状況

原判決の「第三 争点に対する判断」の「二 本件発症の機序」の「2 本件大野の脳動静脈奇形の発症の状況」(六四頁八行目〈同一〇九頁四段三一行目〉から六八頁二行目〈同一一〇頁二段三〇行目〉まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、六七頁三行目〈同一一〇頁二段一一行目〉「午後二時四〇分ころ」とあるのを「午後二時五〇分ころ」と改める。

四  大野の行った公務の内容

1  発症当日の公務

前記「第二 事案の概要」において引用した原判決「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」の「2 発症当日の公務の内容・経過」(五頁二行目〈同一〇一頁四段三四行目〉から八頁一一行目〈同一〇二頁三段一行目〉まで)に記載のとおりである。

2  発症前日までの公務の内容

原判決七〇頁二行目〈同一一〇頁三段三二行目〉から九〇頁二行目〈同一一三頁二段一三行目〉までに記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、七〇頁六行目〈同一一〇頁四段三行目〉「原告本人尋問の結果」の次に「並びに甲五五、五六の一、甲七四ないし七六、八三、八四の一、二、甲八五の一ないし一一、甲九〇、当審証人橋本正紘の証言」を加え、八四頁一一行目〈同一一二頁三段二六行目〉から八五頁一行目〈同一一二頁三段二九行目〉までの「(六) 右(一)ないし(五)までの日常業務の他、昭和五九年三月中旬から本件被災当日までの間において大野が従事した業務等は、次のとおりである。」を「(五) 右(一)ないし(四)までの日常業務の他、昭和五九年三月中旬から本件発症当日までの間において大野が従事した公務等」に改める。

五  本件発症と公務の関係

1  大野の従事した公務の評価

(一) 発症当日の公務について

発症当日の公務の内容は、前記認定のとおりであって、特に過重なものであったと認めることができない。

(二) クラス担任について

まず、昭和五八年度のクラス担任についてみると、カンニング、喫煙等の問題行動を起こし、謹慎処分を受けた生徒が一年間に七名という多数に上ったが、大野はその都度こうした生徒に対する生徒指導や家庭訪問を実施したのであって、後記のような大野の仕事熱心な性格を考えれば、大野がこれを熱心に行ったことは十分推認できるのであって、大野にとってかなりの負担であったということができる。

次に被災年度である昭和五九年度についてみると、担任のクラスに素行上の問題を抱えた女子生徒や神経症の女子生徒がおり、特に前者の指導をめぐって、家庭訪問を四月以降繰り返し行い、取り分け発症の直前である五月六日から一〇日までの間には、集中的に、放課後三、四回家庭訪問を行ったこと、同生徒の自宅は吉田高校から約九キロメートル離れたところにあるが、大野は、吉田高校から自転車を利用して同生徒宅まで行っていたことから、帰宅時間が午後九時から一〇時となることもあったこと、右生徒は大野の意に反して五月一三日に突然兵庫県内の施設に入所してしまったことは前記のとおりである。大野は右生徒の指導をめぐるこれらの出来事によって、相当の身体的、精神的な負担を負ったということができる。

高校教員としてクラス担任をする以上右のような出来事はありうることではあるけれども、そうであるからといって、そのことが大野のみならず通常の高校教員にとって相当程度の負担になることを否定することはできない。

(三) クラブ顧問としての公務

大野のクラブ顧問としての公務は前記認定のとおりであって、棋道クラブについては特段問題にすべきものはなく、インターアクトクラブについてもその運営方法につき悩んでいたことがうかがわれるけれども、特別の負荷ということはできない。

(四) 授業について

大野の英語の授業の担当時間は週一七時限で、吉田高校に勤務する英語教員の平均的な担当時間であって、それ自体で負担が重いということはできないが、大野は、英語科の一七HRのほか、保育科(二六HR、三六HR)及び普通科(一二HR)と四種類の授業を担当していた点で、同じ種類の授業を多くのクラスで行うのと比べると、同じ授業時間ではあっても相対的に負担が重いということができる。

また、英語科の授業においては、英語は専門科目として位置づけられていることから、使用する教材も、一般に市販されている教科書、教材の他に副読本や補助教材として独自の教材を担当教員が中心になって作成し、大野もその中心となっていた。

さらに、英語科の英語授業の中でAETとの共同授業は、その準備の打合わせから現実の授業に至るまですべて原則として英語で行われるほか、AETは英語を本国語とする外国人で日本の生活習慣や日本人の思考様式と異なるそれを持っているので、通常の授業と比較すれば負担が重く、気苦労の多い仕事であったということができる(原審証人神鷹覓の証言)。

(五) 校務分掌について

大野は、前記認定のように、総務課で国際理解教育を主に担当していたが、吉田高校では英語科を専門科目と位置付け、国際交流など様々な活動に力を入れていたことから、交換留学生の派遣及び受入れや外国からの視察のための来校者の応接については、総務課の中で英語科に属する二、三名の教員の負担が重く、中でも大野はその経験や年令から中心的な役割を果たしてきたものとうかがうことができる。このことは、大野が既に留学生を引率して渡米した経験があり、この種の事務に精通していたものとうかがわれるとはいえ、かなりの身体的、精神的負担であったことは否めない。また、大野は、英語科パンフレットの作成の中心的役割を担っていたが、英語科教員の間でもその形式、レイアウト等について意見が一致せず、作業が遅れており、大野は、作業の遅れについて責任を感じ、精神的負担になっていたものと認められる。

(六) その他の行事について

まず、新入生集団宿泊訓練については、大野はクラス担任として同僚教員とともに事務を分担し合って参加したものであり、その意味では同僚教員に比して特に負担が重いということはできないけれども、クラス担任として新入学直後の多数の生徒を引率して二泊三日の宿泊訓練を事故なく終了させることは、四五才という決して若いとはいえない年令の大野にとっては相当程度の身体的、精神的負担となったであろうことは、容易に推認することができる。

次にクロスカントリー大会については、大野はこの行事の運営に直接携わる役員ではなく、この点において運営の責任を負うものではなく、また、参加が強制されるものではなかったものの、約二〇キロメートルの起伏のあるコースを生徒と一緒に全行程歩いて生徒の指導に当たったものであり、大野にとってはかなりの身体的負担になったものと推認することができる。参加が強制されるものでもないのに参加したことについては、それほど疲労が蓄積していなかったとの見方もありうるが、むしろ、クラス担任として参加すべきであるとする大野の職務熱心の現われと見るべきであろう。

(七) 大野の執務姿勢、性格

大野の仕事ぶりは、能率良く事務処理をこなすというものではないが、仕事に取り組む姿勢は何事もおろそかにせず、熱心かつ丁寧で、責任感が強いタイプであると上司、同僚から評価され、生徒からもそのように見られていた(原審証人神鷹覓、同山梨輝美、同佐藤早苗の各証言、甲八五号証の一ないし一一)。

そして、大野は、吉田高校へ転勤後毎朝ジョギングをしていたが、本件発症の一年前位からジョギングをやらなくなり、また、そのころから妻(控訴人)に疲労を訴えるようになった。さらに昭和五九年の春休みに友人が訪ねてきたときの大野の歩き方が従来と変わり足取りが重かったこと、同年四月末ころの墓参の際にいつもは歩くことが好きな大野が途中で切り上げて帰ったこと、発症の一か月位前からは床に入る時間が以前より早くなったことなど大野の疲労の蓄積を示す事実が認められる(甲八三号証、原審における控訴人本人尋問の結果)。

(八) まとめ

以上のとおり、吉田高校においては、静岡県下で初めて英語科の専門課程を設置した県立高校であることから、教材の作成、特別のカリキュラム、留学生の交換、イングリッシュキャンプなどの特別の行事など、英語科における英語教員の担当する公務は、他の科の教員に比して多かった。中でも大野は、その勤続年数、経験年数などからして、英語教員の中心的役割を担っていたため、特に負担が重くなっていたということができる。また、大野は、新学期の昭和五九年四月以降、英語科特有の仕事(教材の作成、AETとのチームティーチングの準備、交換留学生の受入れ準備、イングリッシュキャンプの準備等)を行うとともに、新入生集団宿泊訓練やクロスカントリー大会などにも積極的に参加していた。そのうえ、昭和五八年度、五九年度の担任クラスでの問題行動の生徒らに対する指導、家庭訪問などの負担が加わっていた。これらの公務は勤務時間内には終了することができず、勤務時間外や休日に及び、場合によっては深夜に及ぶこともあった(原審における控訴人本人尋問の結果、当審証人橋本正紘の証言)。このようなことから大野は本件発症の前にはかなりの疲労状態にあった。

昭和五九年の新学期から本件発症までの一か月半の間の大野の行っていたこのような公務の内容を全体的に観察すると、この間に多くの身体的、精神的な負担の重い仕事が集中的に相次ぎ、その結果、身体的、精神的な疲労やストレスが集積していたものと認めるのが相当である。

2  本件発症の公務起因性について

(一) 本件発症当日における大野の公務と発症との関係

前記認定のような大野の発症当日の勤務状況、言動及び死因並びに原審証人小松清秀の証言、乙第五号証の一、第六号証によれば、当日朝に大野の脳動静脈奇形部からの小出血があり、これがしだいに脳室内に広がり、ついに午後二時五〇分ころの大出血に至ったものと認めることができる。そして、前記認定のように、大野は、朝から頭痛を押して授業を続けたのであるが、右頭痛の段階で安静にし、治療を受けていれば、本件のような大出血の発症を防止できた可能性も否定できない。このような場合に、授業を続けたことが不可避であったこと、すなわち、直ちに安静を保ち診察治療を受けることが困難な状態にあって、引き続き公務に従事せざるをえなかったのであるとすれば、そのことが本件発症の原因であるということができる。しかし、当日大野が所定の授業や打合わせを他の教員に代替してもらうことも可能であった(甲二号証の三)にもかかわらず、そうしなかったのは、大野自身も周囲の教員も症状の重大性に気付いていなかったためとしか考えられない。

そうすると、本件においては、直ちに安静を保ち診察治療を受けることが困難な状態にあって、引き続き公務に従事せざるをえなかったという状況にあったと認めることはできないから、当日の公務の遂行をもって本件発症の原因とすることはできない。

(二) 本件発症当日以前の大野の公務と発症との関係

公務起因性の判定の基準は、前記のように、当該発症について、公務に内在ないし通常随伴する危険がそれ以外の発症の原因と比較して相対的に有力な原因となったか否か、換言すれば、公務が当該血管病変等を自然的経過を超えて急激に増悪させるに足りる程度の過重負荷となっていたか否かということである。

大野の死亡原因は、前記のように大野の有した脳動静脈奇形の増悪及び破綻出血である。そして、脳動静脈奇形の発症率は前記のとおりであって、発症率自体はそれほど高率でもなく、更に出血等の発症の結果死亡するに至る者は、そのうちの一部であって、脳動静脈奇形の疾患を有するからといって、必ず発症し、死亡するものでもない。そして、身体的、精神的な疲労、ストレスの蓄積による血圧の昂進は脳動静脈奇形の増悪及び破綻の原因となりうる。このことに、前記のように本件発症以前大野に多くの身体的、精神的な負担の重い仕事が集中して相次いだ結果、身体的、精神的な疲労やストレスが蓄積していたことを考え合わせると、右のような疲労の結果が血圧を昂進させ、脳動静脈奇形を自然的経過を超えて増悪させて、本件発症の相対的有力な原因となったものと解するのが相当である。

被控訴人は、大野の本件発症が脳動静脈奇形からの再出血であって、再出血の危険性、再出血の死亡率は初回出血と比べて高率であるから、大野の公務は本件発症の相対的有力な原因になっていないと主張する。そして、乙五号証の一、六号証にはその旨の記載があり、山梨輝美作成の聴取書(甲二号証の三)によれば、大野が本件発症当日の授業中に生徒に対して、前にも風呂から出た時に頭痛に襲われたことがあると話していたことが認められるけれども、頭痛の程度やその時期等の詳細は不明であって、大野の本件発症が再出血であることを認めるに足りない。他に本件発症以前に大野が初回出血発作を起こしていたと認めるに足りる証拠はない。

また、被控訴人は、大野は、新入生集団宿泊訓練、クロスカントリー、自転車通勤など血圧を上げる要因となる行動時には、発症していないことからみて、大野の脳動静脈奇形は、自然的経過により増悪し、いつ破綻出血してもおかしくない状態にあったと主張する。たしかに、前記認定のように、脳動静脈奇形の破綻出血は、発症直前に特別の負荷がかかった場合に限らずいつでも起こりうるものであり、本件においても発症直前にはいつ破綻出血してもおかしくない状態にあったということができる。被控訴人の主張はその限りでは是認できるけれども、問題は、いつ破綻出血してもおかしくない状態に陥ったことについて、それが脳動静脈奇形の自然的経過によるものであるのか、それとも公務が相対的に有力な原因となっているのかということである。その判断は、前記のように脳動静脈奇形の病態と発症までに大野の行った公務の内容を総合的に考慮して行うほかないのである。

さらに、大野は、本件発症当日朝から頭痛を自覚しており、他の教員に授業を代わってもらうことも可能であったのであるから、発症に至るまで放置することなく、早期に受診すべきであったのであり、そうすれば、死亡という最悪の事態を避けられたはずであるとの議論もありうる。しかし、これは大野にとって酷な見方である。大野は症状の重大さに気づいていなかったのであり、かつ、気づかなかったことに落ち度は認められないのであるから、責任感の強い大野の性格から頭痛を押して授業を行ったことを責めることはできないものというべきである。

六  むすび

以上のとおり、大野の死亡は公務に起因するものであるから、これを公務外災害であるとした原処分は違法である。よって、これと異なる原判決を取り消したうえ、原処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 小林登美子 裁判官 淺生重機は、転補のため署名、押印することができない。裁判長裁判官 今井功)

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